わたしが転職を考えたきっかけ
体力的な理由
転職サイトに登録したとき、私は40才代後半に差し掛かっていました。
私の職場では男女の職員がいて、それぞれになんとなく役割が定められていました。
特にトランスファーについては男性職員が筋力的に優位だろうということで主となって行っていました。
移動の中には寝返り、歩行、起き上がり、立ち上がりなどがありますが、介護でトランスファーというと、車椅子からベッド、シャワーチェアから浴槽、車椅子から便座、またはその逆の移乗など自ら乗り移ったり、移動したりする移乗動作のことです。
1回のトランスファーで20人程度をホールまで車いすでお連れして、立位が可能な方はトイレで排泄介助をした後でベッドにお連れして寝て頂く。
常時オムツの方はお茶や食事、レクレーションが終わり次第ベッドにお連れしてトランスファーを行っていました。
早出なら、起床、朝食時に2回、10時のお茶の時2回、昼食時2回、15時に2回トランスファーをします。
20人×8回×50キログラムとすると実に1日8トンもの荷重が体にかかります。
ご利用者様はご高齢の方ですので、時間をかけずさらに恐怖を与えず行いますので、単なる物を運ぶのとは身体にかかる負荷が全く違います。
精神的な理由
介護職はシフト勤務です。
同じシフトで勤務に入る人によって負担が極端に違ってきます。
トランスファーにせよ、オムツ交換や排せつの介助にせよ、やらない人は全くしません。
やんわりとでも苦言を呈すと陰に日なたにあることないこと言われて本当にユウウツでした。
余りの激務のため、他人を思いやる余裕がないのが私の職場の状態でした。
医師と介護士の待遇の違いに嫌気がさした
夜勤が月に5から6回ありましたので、その手当てがあれば18万円程度はありました。
夜勤は一人で何でもこなさなければなりません。
私がコールマットの音に追いかけまわされている深夜、ドクターの部屋からはテレビの音声が漏れていました。
夜勤勤務のとき、私はドクターとお会いしたことは1度もありませんでした(ご利用者様の臨終に際しては部屋から出て来られますが)。
ゆっくり寛いで帰られていくドクターの手当ては私たちの10倍程度であると聞いていました。
また、理事長、園長、理事ご家族三人の収入は残り200人程度と同じだとも聞いていました。
ウワサですので真偽は不明ですが、当たらずとも遠からずではないかと思います。
理想の福祉事業所を創りたい
私の介護職以前の職業は教職員でした。
安定した給与、福利厚生でした。
介護苦の自殺が物議をかもす現代に生活する以上、介護の実際を経験したいと自ら望んで介護業界に飛び込みました。
そこから4年が経ち、さすがに限界だと判断しました。そこで、通信教育で社会福祉士の専門学校に通いました。
幸い無事合格しましたので、まだ時期が早い気もしましたが、この機会にもう少し負荷が軽い職場を求めて退職しました。
退職を決断できたのは、昔から理想の福祉事業所を創ってみたいという夢の実現を心の隅で望んでいたのもあります。
再就職先が決まったときに支給される再就職手当や、失業給付を受けるために、退職後まずはハローワークにしました。
しかし、年齢が主な理由だと思いますが、再就職先は見つかりませんでした。
次にハローワークのそばにある「人材プロフェ」という医療・介護専門の登録職業あっせん所に行きました。
そこの所長さんには「挨拶の声が小さいよ。君は就職先がみつけられないよ。」とか行くたびに嫌味を言われました。
本人は善意だったかもしれませんが、聞いている私には苦痛でした。
職業あっせん所でもうまくいかなかった私は、いくつかの介護求人サイトに登録しました。
私は鹿児島県在住で年齢も年齢なので、首都圏求人だけに強いサイトではなく、地方の情報も豊富なカイゴジョブにまず登録しました。
「しつこく勧誘があったりしないかな」などと心配してましたが、私については全くありませんでした。
喜んでいいことか分かりませんが(笑)マメにメールでおすすめの求人情報を送っていただけます。
そんなにこまかく要望を登録するわけではありませんので、ドンピシャリという情報ではありませんでしたが参考になりました。
しかし鹿児島県の場合、なかなか介護職であっても、50歳近くの私に求人はありませんでした。
また、今度やるなら負荷の軽い福祉職を主に探していたことも一因です。
最終的には、介護業界とははたけ違いの会社とご縁があり、再就職したことで私の転職活動は完結いたしました。
私の転職活動についてまとめ
私は沢山の理由、きっかけで介護職を転職しようとしました。
転職には失敗したものの、実際介護の現場を経験できたことは私の一生の宝物です。
50歳で人格に大きな変革は余りないのが通常でしょうが、介護職の経験は深く私の心に刻まれました。
男性利用者が語られた
「日ソ不可侵条約を破っての満州へのソ連軍の侵攻、日本人婦女子への暴行凌辱、日本人男性殺害、シベリア抑留強制。」
心からの涙でその体験を話された姿を私は生涯忘れません。
また、女性利用者がおっしゃった言葉。
「こんな幸せな暮らしはないよ。ありがとう。」
「どうしてご家族と離れての暮らしが幸せと思うのですか。」
「私にとって子供はいつまでも子供なの。愛しているの。この体になって家にいて御覧なさい。きっとあの子におかあさんが家にいると大変だ。という態度をとらせてしまうわ。私はいいけど、優しいあの子はそう思う自分自身を責めて苦しむと思うの。」
私は涙が止まりませんでした。
苦しみの傍には優しさと深い愛情があります。私は再就職が成せませんでした。けれど、介護職は真に貴い職業だと今でも確信しています。
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